2015年3月8日、塩釜神社へのお参りをした後、僕たちは松島へ向かった。

みぞれ混じの小雨がぱらつく天候だったが、松島にはたくさんの人が観光に訪れていた。

 

そういえば「松島までは人が来るけど、それ以北にはなかなか来ない」というような話を聞いたことがある。

それは単純に距離と所要時間が大きな要因だとは思うけど、震災の被害が大きかったエリアは、観光客が訪れにくい場所であるようだ。

 

そんなことも思いながら松島を歩いた。

霧の中に遊覧船が浮かぶ幻想的な風景の中で、スマホで自撮りする若者グループや、観光バスで訪れている団体客の姿が目立つ。

とてもわかりやすい感じの観光地だ。

 

 

「写真を撮ってもらえませんか」と大学生くらいの男子3人組に頼まれた。

詳しい場所は忘れてしまったが、彼らはボランティアの帰りに松島に寄ったのだという。

おそらく大学の春休みを利用して、被災地へボランティアに行っていたのだろう。

 

松島は多くの島が防波堤の役割を果たして、比較的被害が小さかったと言われるが、

遊覧船乗り場から、瑞巌寺に向かう参道には、「3・11津波到達地点」と書かれた案内板が立っていた。

 

確かに地震はあった。東京でもあれだけ揺れたのだからよくわかっているつもりだ。

松島まで来ると、実際にその震災の跡がいろんなところから見え隠れする。

しかもたった4年前のことだ。だけど、なぜか実感があまり湧かない。

霧がかかった松島の海の風景のように、まぎれもない現実だけど、うすぼんやりとして、そのことを自分がきちんととらえきれていないような気がしてならない。

 

売店で買った焼きたての牡蠣も、おまけでもらったイカゲソもうまかった。

松島は風景も美しいし、食事もうまいし、観光できる場所もあるし、遊覧船もあるし、宿泊施設もある。

友人グループでも家族でも団体でも受け入れられるキャパがある。

とてもよい観光地だ。

ちょっと松島行こうか、という気になるし、行きやすい。

でも、それ以北になると、時間も必要だし、もう少し念入りに下調べが必要になる分、気軽さが減る。

「松島までは人が来るけど、それ以北にはなかなか来ない」というのはよくわかる現象だ。

それ自体は良いわけでも悪いわけでもないけど・・・、などとうすぼんやり思いながら、車に戻り、僕らは石巻を目指すことにした。

 

 

 

東北へのSHIMA TRIPは、僕らの旅の数日前に開通したばかりの常磐道で向かうことにした。

SHIMA TRIPの前に余計なストレスを受けてしまうような気もしたけど、東北の島を旅するのであれば、その道を通るのがSHIMA TRIPらしくも思えた。

福島第一原子力発電所の付近に来ると、除染によって生まれた廃棄物がそこらじゅうに積まれていて、サービスエリアでは放射線量がリアルタイムで表示されていた。

想像していた通り、それらは僕を陰鬱な気分にさせ、日本という国や自分の在り方を否応なしに考えさせられる風景だった。

その道を走りながら、井島さんから『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』という本の話を聞いた。

 

S_IMG_1732 S_IMG_1735

 

常磐道を走り切った僕らは、まず陸奥国の一宮である塩釜神社にお参りに行った。

日本の創世神話をテーマに継続的に撮影している井島さんの話では、SHIMA TRIPで向かおうとしている金華山にある「黄金山神社」と、塩釜市の「塩釜神社」は対をなしていて、それらはある次元においては“東北の要”であるということだった。

そして、創世神話やその背景、そんな視点に立って俯瞰的に考えてみると、(ある次元において“東北の要”の)この地で2011年の3月11日に起きたその天災は、ある意味でこの世の大きな転換のきっかけになる(可能性を秘めている)と読み解くこともできるのだという ――――――。

 

一説によれば、元来、塩釜神社と黄金山神社を結ぶライン(を延ばした直線)は、蝦夷(エゾ)に対する結界の意味が込められていたそうなのだ。

それは南方から国造りをしてきた「日本(ヤマト)」を「蝦夷」から守る結界ということになる。

ということは、その昔、その意味においては塩釜以北は「蝦夷」として「日本」から切り離されて(切り捨てられて)考えられていたとの見方もできてしまう。

 

そして3.11に起きた地震の震源は、まさにこの結界ラインの直線上にあり、その震源から発生した津波は東北の沿岸を滅茶苦茶に破壊した。

そう考えたときに、震災はその結界を破壊する(した)ものであり、「日本/蝦夷」のような『敵対』や『差別』や『偏見』を、そして結界を張って自分だけを守ろうとするような『心の在り方』自体を破壊する(した)ものであり、新しい「国」や新しい「時代」や新しい「価値観」が生み出される『きっかけ』になる(可能性を秘めている)出来事である(あった)と考えることができる。

そんな風にとらえることもできなくはない。

 

もしかしたら井島さんの言っていたことは、それとは少し違っていたのかもしれないのだが…、僕はそんな風に解釈したのだ。

 

 

もちろんその震災の被害は甚大で深刻で、非科学的な話でその震災を意味づけて納得してしまおうなどとは微塵にも思っていない。

ただ神話や過去がどうあれ、起こってしまった震災が『きっかけ』だったと言えるように、そうなっていくように努力をすること。

少なくとも、そういった視点で自分を見つめながら生活をすることが、この時代に生きる意味なのかもしれないと、今思う。

 

 

この記事にコメント

2週間ほど前、東北へ行って来た。石巻を拠点にしながら、5日間ほどかけて宮城県の島々をゆっくりと巡るつもりでいた。

これまでいつも天気に恵まれてきた島TRIPだったけど今回は天気があまり良くなくて、特に3月10日と3月11日は石巻港や女川港から島へと向かう定期船が運休になるほど海も荒れていた。

そのため(と、石巻で毎晩飲み過ぎていたこともあり、)あまり満足に撮影することができず、おまけに後半には食あたりにも見舞われ、かなりハードなTRIPになってしまった。

 

それでも、奥松島の宮戸島、牡鹿半島の周辺の出島や網地島や金華山にはどうにか行くことができた。

そして、3月11日に石巻にいることができたことにも意味を感じる。

島TRIPの取材としてはまとまりに欠けるけど、今の石巻をゆっくりと感じることはできたかもしれない。

食事もおいしかったし、いろんな人との出会いもあった。

楽しいなどと気軽に口にはできそうにないタイミングもあったけど、いろんなことを感じ考えることができたという意味で、旅としては充実していたとも言える。

 

いろんなことがあったけど、でも思っていたようには撮影はできなかったので、SHIMA TRIPとして、何をどうまとめたらよいのかまだわからない。

3月11日に石巻にいることはできたけど、この数日間の経験だけで、あの大変な出来事を経てきた街を語るようなことは到底できるとも思えない。

 

ただ、旅の前よりも今の方が、ずっと東北を好きになっている自分がいる。ハードな旅ではあったけど。

何かをしなくちゃいけない、というのも、もしかしたら違うのかもしれない、と思う。

そもそも違う違わない、ではなく、何かをしてもしなくてもどちらでもいいのかもしれない、とも思う。

自分がしたいことはなんだろうかと考える。

とりあえず、数少ない映像と写真を整理しながら、少しブログでも書いてみようかな、と思う。

 

 

この記事にコメント

プロフィール
瀧本 大一郎

瀧本 大一郎

編集 / 写真 / 映像 / ライター

1972年 愛知県出身。法政大卒。株式会社tabit代表/webプロデューサー。Shima-trip発起人。
卒業後に就職した広告会社を3年弱で退職してフリーライターに。
30代前半に東京でのパッとしない日常に嫌気が差して、アジアをぐるぐる放浪したのちインドでしばしそとこもる。
帰国後しばらく愛知県で自動車工場の期間従業員などをして金を貯め再上京。
派遣社員(ライター)、web制作会社などを経て、現職はwebプロデューサー。
コンテンツの企画・制作、編集・ライティング、映像制作、写真撮影なども行う。
島歴:ペナン島、ランカウイ島、サムイ島、パンガン島、タオ島、サメット島、デッド島、薩摩硫黄島、石垣島、西表島、波照間島、与那国島、竹富島、ハワイ島、礼文島、利尻島、奄美大島、豊島、直島、犬島、青ヶ島、八丈島、宮戸島、網地島、出島、金華山など。

このブロガーの記事一覧
このブロガーの最新記事
Page12
>>