[Photo] 八丈島 3島物語(八丈島・八丈小島・青ヶ島)

2015.06.08     Translation of author 日本語

その日生まれて初めて飛行機に乗り遅れたボクは一晩八丈島に滞在することになった。

青ヶ島を目指す友達と乗るはずだった飛行機から遅れること1時間。羽田から55分後に八丈島空港に降り立ち舟山レンタカーから車を借りて一人島内を一周することにした。想定外の出来事だっただけに完全なるノープランの島旅が始まった、というか始まってしまった。

いまは懐かしき「ひょっこりひょうたん島」のモデルとも云われる八丈島は新旧二つの火山(八丈富士・三原山)から成り、括れのあるその島影は上空から観ると数字の「8」にも、さらにはメヴィウスの輪のようにも観えて思わず身を乗り出してしまう。島の西側に位置する八丈小島もフォトジェニックで美しく自分が何気なく想い描くファンタジーで語られる島のフォルムに近い。

日本各地に伝わる徐福伝説を紐解くと、その昔秦の時代(2200年前)八丈島を「女護ヶ島」青ヶ島を「男島」と呼び、男女別々に暮らしていたという逸話があるそうなのだが、その話が確かにと頷けるほど島は穏やかで母性的なおおらかさを湛えているように感じられる。

ふと「八丈島(女)、八丈小島(無)、青ヶ島(男)」という3島を繋ぐ線を辿りながら歩いてみよう、と想いつく。

調べてみると3島の総鎮守として千年を超える歴史を持つ古社・優婆夷宝明神社[御祭神:優婆夷大神・宝明神]があることを発見した。事後的にどれほど自明のことであっても自分の直感が正しかったと確認できることは試行錯誤の醍醐味だ。投げ込まれた暗闇のなかで微かな光を見つけるような興奮を感じながら、まずはそこを旅の始点に決める。

神社に辿り着くと丁度、島民の家族が七五三を祝っていた。和やかな雰囲気のなか、気品のある石の鳥居をくぐり綺麗な石積みの本殿を参拝した。此処を参拝しないことには青ヶ島への扉は開かれなかったのだという因果律を言い訳に、飛行機に乗り遅れた自分の落ち度を天の配剤として肯定してみる。(都合良過ぎ)

次に目指したのは「八丈島民俗博物館」。縄文時代の生活様式から流刑者の系譜など見所も多く、島を観る解像度がひとつ上がる(ような気がするのでお薦めしたい)。とりわけゆかりの遺跡が多く残る英雄・源為朝の「海神の祟りを畏れて八丈島と青ヶ島に男女離れて暮らすという悪習を断つ為に愛する女性と一つ屋根の下で幸せに暮らしてみせることで、長年島民にかけられていた呪縛を解いた」という神話めいたエピソードは、いつのまにか潜在意識に打ち込まれた暗示の人類史を知るようでとても興味深い。

末吉まで下り、「みはらしの湯」の露天風呂に浸かりながら遥か大海原にぽつりと浮かぶ青ヶ島を見つける。ここは湯質も良く絶景哉。

日没迄、八丈灯台や登龍峠展望台などを周り、島の全景を身体に馴染ませながら周回する。宿は観光協会に紹介してもらった「小崎荘」にお世話になることに。千葉の館山から仕事で中期滞在している船大工のおやっさん二人と語らい地魚の刺身を愉しむ。撮影が残っている為珍しく酒は控える。

夜半過ぎからは風も強まり雨も降って来た。翌日の青ヶ島行きの船がでるのかいよいよ怪しくなる。。。

八丈島から青ヶ島への交通手段は2択。連日空席待ちのヘリコプター(定員9名)は選べないので自ずと就航率およそ50%の「あおがしま丸」一点張りに。天候判断踏まえ朝7時に島内放送で運航の決定と神湊港底土もしくは八重根港のどちらから出航するかが伝えられる。

思わぬ状況に意味付けをしながら島と島の関係が織り成す個性的な物語を旅の羅針盤にすることが出来た八丈島滞在。このSHIMATRIPがあらためて意義深いものになるという確信を得て初日を終える。

迎えた晴天。穏やかな波と風にも恵まれ、海路にて、いざ秘島・青ヶ島へと。

 

 

 

プロフィール
井島 健至

井島 健至

Photographer

1974年福岡生まれ。横浜市立大学中退後、渡米。
1999〜2002年 NYに在住。写真家・宮本敬文氏に師事。
2003年独立。以後各種広告雑誌にて活動。
PersonalWorkとして、《primal gravity》《ニッポン西遊記》など日本の創世神話をテーマに継続的に撮影している。
島歴:八丈島、青ヶ島、奄美大島、沖縄本島、古宇利島、久高島、宮古島、池間島、大神島、来間島、伊良部島、石垣島、座間味島、黒島、竹富島、小浜島、西表島、種子島、屋久島、淡路島、沼島、竹生島、沖ノ島、隠岐諸島中ノ島、五島列島福江島、佐渡島、舳倉島、粟島、志々島、小豆島、高見島、佐栁島、本島、大島、伯方島、大三島、上島、生口島、因島、向島、粟島、利尻島、宮戸島、網地島、金華山、金門島(台湾)、ハワイ島、オアフ島、バリ島など。