11月24日。晴れ渡る空。波は穏やか。八丈島は神湊港底土より「あおがしま丸」に乗船した。微かに吹き抜ける風のなか黒潮暖流を渡ること81km/3時間。
文字通り絶海の孤島・青ヶ島へと。

紺碧の海から望む目的の島は切り立った峻厳な岩肌がまるで巨大な城壁のよう。
かつて訪れた他の離島とは何処とも似ていないその勇ましい佇まいに目を奪われながら、島内唯一の港・三宝港に着岸した。

港から外輪山の内側にある池之沢へと至る「青宝トンネンル」はこの島を語るうえで最も印象的にして象徴的(だと、後になってからあらためて思う)なスポットだ。全長505Mのどこか懐かしい雰囲気を湛えるトンネルをレンタカーで通り抜けるその僅かな間に思いもよらなかったタイムトラベルを経験することになった。

外から内に、海から山に、碧から翠に。
風が止み、気温が上がり、湿気が満ちる。
晒された場所から包み込まれた場所へと。

その劇的と云っていいほどの変転に「二重カルデラ」がもたらす特異な地形の魔法をみた。

島の北側にある宿泊先「あおがしま屋」に荷物を下ろした後は総鎮守にご挨拶をと「大里神社」へと向かう。美しく敷き詰められた玉石が急勾配の参道を特別なアプローチにしている。登りきると右手に「でいらほん祭」に使用されていたといわれる鬼面と女面が安置されている小屋がある。道なりに「下の石場」から「上の石場」へと移動しながら神々の祀られた鳥居と祭壇にひとつひとつ手を合わせる。

一旦外輪山を下りてぐるっと半時計に廻り込み、島内一標高の高い「大凸部(423m)」を目指して歩く。

360度景観を展望できるその場所から、カルデラの中央に聳えるババロアのような内輪山、目線の正面にくる水平線、西日が和らぎゆっくりと橙から紫へと移り変わり海と島を染めていく一刻一刻を、ひたすら眺めた。宵の明星が瞬きはじめてから群青の空が深く濃く、光を失ったころ撮影を終え宿へと戻る。

大皿から溢れる程の島料理を振る舞ってもらう。アカバのみそ汁に煮魚、ほくほくの里芋、イスズミの刺身にメダイを漬けにした島寿司など絶え間なく運ばれてきてどれも美味。島だれ(島唐辛子にニンニク等混ぜ合わせた)に浸けて食すとまた味もひきたち格別。幻の焼酎・青酎も呑み放題をいいことにとめどなく杯を重ねてふわふわと。目が滲む。

この日同宿のボーリング(採掘)現場で働くお喋りな兄さんに誘ってもらいイキツケだという宿の隣にある「もんじ」(島内唯2の居酒屋)にも足を運ぶ。

店は活気に満ちて大盛況。島民のほとんどが来ているのではないかと思うほどの賑わいに驚きながら奥座敷へと進む。ふとある違和感を覚えた。乗り継ぎ乗り換え船に揺られてようやく辿り着いた島への移動距離とは裏腹に、飛び交うすべての言葉が聞き慣れたイントネーションの「標準語」なのだ。

あらためて青ヶ島が「東京都の村」であることにはたと気づき地図上の島の位置を思い浮かべる。
12年ぶりの選挙を制し就任した村長さんとも酒を酌み交わし、島の今をいろいろと。

時間も忘れとっぷりと宵も酔いも深まった夜更けに「星の箱舟」と呼ばれる島の所以を堪能するために再びカルデラに向かう。

しこたま呑んだ青酎でふらふらになりながら外灯のない広場に着き大の字になって寝そべると、地熱が背中一面伝ってきてとても心地よい。ここが火山島であることを全身で感じながら、眼の前に広がる星空に落ちてゆく。酩酊する意識の中で、徐々に身体が天球を支える台座に浮かんでいるようなイメージに没入していくと、漆黒の闇に無数にバラまかれて煌めく星々と大海原に点在する島々やそこに生きる人々とが合わせ鏡のように映っては融けていく。

はてしない宇宙に浮かぶあまりにもちっぽけな自分の現在地を「星と島と人」で結ぶ“ひとつの繋がり”として身を以て感じることができたのは、青ヶ島ならではの、はたまた青酎ならではの、もう一つの魔法だったかもしれない。

 

 

 

プロフィール
井島 健至

井島 健至

Photographer

1974年福岡生まれ。横浜市立大学中退後、渡米。
1999〜2002年 NYに在住。写真家・宮本敬文氏に師事。
2003年独立。以後各種広告雑誌にて活動。
PersonalWorkとして、《primal gravity》《ニッポン西遊記》など日本の創世神話をテーマに継続的に撮影している。
島歴:八丈島、青ヶ島、奄美大島、沖縄本島、古宇利島、久高島、宮古島、池間島、大神島、来間島、伊良部島、石垣島、座間味島、黒島、竹富島、小浜島、西表島、種子島、屋久島、淡路島、沼島、竹生島、沖ノ島、隠岐諸島中ノ島、五島列島福江島、佐渡島、舳倉島、粟島、志々島、小豆島、高見島、佐栁島、本島、大島、伯方島、大三島、上島、生口島、因島、向島、粟島、利尻島、宮戸島、網地島、金華山、金門島(台湾)、ハワイ島、オアフ島、バリ島など。