アイキャッチ0315_圧縮

アオガシマトリップ#009「大里神社」

2015.06.11      Translation of author 日本語

 

大千代港付近の風景を堪能した後、いったん宿に寄って井島さんの荷物を置いた。井島さんがようやく「あおがしま屋」にチェックインした瞬間だった。宿で女将さんに経緯を報告して一息ついてから、僕らは3人で大里神社へ行ってみることにした。

朝、(たどり着けなかったが・・・)ひとりで行った東台所神社もそうだったが、大里神社もかなり急勾配の玉石段を登って行った先に在る。実は大里神社の玉石段こそ「登ることはできても降りるのは危険だからやめた方がいい」と事前に聞かされていた玉石段だった。

迷いながら見つけたその大里神社へと向かう玉石段は確かに急勾配でどこかに迂回路が無いものかと探してみたが、見当たらなかった。

朝の挫折もあったので、ひとりだったらきっと登る気にはなれなかったはずだ。でも、今は村田さんも井島さんも一緒にいる。そして大里神社はようやく青ヶ島に上陸できた井島さんの“行きたい場所”でもあったので、僕らはとにかく登ってみることにした。

宿に置いてあった本には玉石段を登り切った場所(=大里神社)の見取り図が載っていて、そこには下るための迂回路に通じる小道も記載されていた。だから登ってしまえば安全に下りることのできる迂回路が見つかるのではないかとの淡い期待も脳裏にあった。

そんなことをぐだぐだと考えつつも、とにかく玉石段を登り始めた。たしかに傾斜は急だし苔で滑りやすい部分もあるけど、足元を確認しながら進めば一歩一歩は問題がない。問題がない一歩一歩を積み重ねて行けば、徐々に上へと進んでいける。途中で不安がよぎっても、ひとりではないことが自分を後押ししてくれる。といっても無理やりなテンションや勢いで登るのではなく、問題がないことを確認しながら一歩一歩を積み重ねる。確認した一歩一歩を積み重ねているのだから、降りるときにも一歩一歩降りて行けば問題なく降りられるはず。当たり前のことを当たり前に積み重ねていくことが重要だ。

下から見上げると大変そうに見えた玉石段だが、実際に上ってしまえば、確かに急勾配ではあったけど思ったほどの苦労はなかった。下から見上げてもゴールが見えず不安が先走っていたけど、距離的にも想像していたよりずっと短く感じられた。体力的にも全く問題なく、むしろ登るほどにさわやかな風が吹きはじめ、空気が浄化されていくようでどんどん心地よくなっていった。

 

aogashima_009_1

 

そしてついに玉石段を登りきると少し開けた場所があり、そこにたくさんのイシバサマさまが並んでいた。登り切った達成感の中でお参りをする。イシバサマに手を合わせながら、ひとつひとつ形態の違う様々なイシバサマを観察していると、「あれ? ココとは別に祠があるはずですね・・・」と、イシバサマの前に建てられた鳥居に記された文字を確認しながら井島さんがつぶやいた。

井島さんは日本の創世神話をテーマに継続的に撮影している写真家だ。神社に造詣が深いことは知っていたけど、鳥居を見ただけでそんなことがわかるのか!?と驚きながらも辺りを見回す。すると、その開けた場所の奥に、さらに上へと登る細い階段がある。そしてその階段を登り切った場所には確かに別のイシバサマが、どう見てもここが大里神社の“核”だと思える雰囲気で並んでいた。

 

aogashima_009_2

 

丸山の山頂、金毘羅神社、渡海神社、そしてこの大里神社など、青ヶ島に来てからこの2日間でたくさんのイシバサマを見た。最初にパッと見たときには雑然と放置されているだけのようにもみえたイシバサマだが、よく見るとどのイシバサマも不思議な魅力を持っていた。

イシバサマの多くは、気持ちの良い場所に在った。その場の心地よさに身を任せていると、ついぼんやりとイシバサマを眺めてしまう、そんな場所だ。そして、そうしているうちにパッと見ではわからないイシバサマの奥深い魅力にすっかり惹き込まれてしまう。それが毎回お決まりのパターンだった。

イシバサマにきらびやかさはないし飾り立てられたりもしていない。でもきちんと対峙してみると、その素朴なたたずまいの中にしっかりと込められた人の想いのようなものが伝わってくる。真っ直ぐに整えられているようなイシバサマは見当たらず、曲がっていたり崩れたりしているものが多い。でもそれは乱雑な雰囲気ではない。ただ自然であるがままだ。苔むしたそのまんまのその存在自体が不思議と美しく感じられる。そしてその存在は、この青ヶ島の雰囲気と完全に調和しているように僕には思えた。

一通りお参りさせてもらってから、宿に置いてあった本に記載されていた見取り図(の写メ)をみながら、下に降りる迂回路を探す。しかしながら、いくら探しても迂回路は見つからない。いくら探してもいくら探しても見つからない。そこでしかたなくイシバサマのある場所から玉石段に向かって戻っていくと、その小道の左手に小屋を見つけた。

登ってきたときにも一度通った場所だ。だから登ってきたときにもその小屋はあったはずなのだ。でも来る道中ではまるでその小屋に気が付かなかった。そのことを少し不思議に思いながら小屋のガラス戸からおそるおそる覗き込むと、小屋の中には簡素な棚があり神具が収められている。そして棚の中央付近には独特の雰囲気を持つ男女一対のお面が、何気なく置かれているようで、でも独特の存在感を放ちながらこちらを向いて鎮座していた。

それを見つけたとき、なぜかわからないが、ずっと探していた人に出会えたような気分になった。そして何度も上陸を拒まれたこの島にようやく僕らのことを認めてもらえたようにも思え、なんだかとてもうれしくなった。そのお面にどんな由来があり、どういった形で使われているのかはわからないが、この島独特の文化や神事の一端に触れることができた気がした瞬間だった。

 

 

急勾配の玉石段を降りて行くのは最後まで心配だったが、迂回路が見つからない以上仕方がない。確認して登ってきた一歩一歩を今度は確認しながら降りるしかないと覚悟を決めた。そしてゆっくりと一歩ずつ慎重に降りて行く。登る前の不安の割に実際には意外と問題なく登れたのと同様に、降りる前の不安の割に実際には意外と問題なく降りられた。

たしかに苔の付いた玉石はすべりやすい箇所もあり、一度滑ると一気に下まで落ちてしまいそうな急傾斜ではある。その玉石段を上り下りすることは危険であることには間違いないので、それを人にオススメしようとは思わない。ただ自分の感覚としては、実際には想像していたよりもずっと簡単に登ることができたし、降りることもできた。そして降り切ってしまった後には、その玉石段にびびっていた自分が少し滑稽に思われた。

ひとつひとつは角がなくて和やかな形状なのに、その配置された玉石段の傾斜は急で険しい。でも実際の一歩一歩は登り降りができないほど険しくはない。ただし、見た目に美しい苔の部分こそすべりやすくて注意が必要だったりもする。青ヶ島の玉石段は美しくて、ちょっと神秘的で、含蓄に富んでいるような、そうでもないような、なんだか不思議な存在だった。

 

IMG_1614

 

 

 

【series】 アオガシマトリップ index