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アオガシマトリップ#004「大凸部の大パノラマ」

2015.05.07      Translation of author 日本語

 

ヘリコプターから降りると、当然ながら、そこは“島”だった。11月下旬にもかかわらず強い日差しや、温かく湿った空気や、ほのかに香る潮の香りや、青い空の広さなどに“島感”が満載されている。

僕らを乗せてきたヘリコプターは、乗客と全ての荷物をおろした後、降り立った場所から少しも移動しないまま青ヶ島から八丈島に向かう人々と荷物を詰め込み、八丈島へと飛び立った。

ヘリポートでは島に到着した人が出迎えに来た人と言葉を交わしたり、見送りに来た人が島から飛び立つヘリコプターに向かって手を振ったりする中、島の人(と思われる人)同士が世間話をしている姿が印象的だった。島に到着した人と島から出ていく人が交差する1日1便のヘリコプターに合わせて、お見送りの人々とお出迎えの人々が集まり、島人同士も顔を合わせるのが、この島の日常のようだ。

 

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ヘリコプターが行ってしまうのを確認して、預けていた荷物を受け取った。

「レンタカーのお客さん?」

宿の予約をした際にお願いしていたレンタカーはどこで借りたらいいのかな、と思ったまさにそのタイミングでレンタカー屋のご主人に声を掛けられた。まるで僕の心の声が聞こえたかのようなタイミングの良さだ。

この島にしては多くの人が集まるヘリコプターの発着。とはいえ人の数は限られているから、島の人にしてみれば、ちょっと見ただけで誰がレンタカーを予約した観光客かは見分けがついてしまうのだろう。

 

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レンタカー屋のご主人から簡単に島の大まかなつくりや道路状況を教えてもらった後、借りたレンタカーでいったん宿に向かいチェックインすることにした。

青ヶ島の集落は外輪山北側の緩やかな傾斜地(標高250~300m)に集まっていて、5軒ほどある宿もすべて、岡部地区と呼ばれるこのエリアにある。その中で僕らが2日間お世話になったのは「あおがしま屋」だ。

電話で予約したときにも感じていたが、宿のおかみさんはよく話をしてくれる方だった。「島旅」をしていると、方言が強すぎて地元の方の話がよくわからないことも多いのだが、青ヶ島は東京都に属しているだけあってか、多少の癖はあるものの話している言葉はわかりやすい。

ただ、僕の頭の中に青ヶ島の地図がきちんと描けていないので、せっかく島のことをいろいろ教えてもらっているのに、場所の名前すらうまく記憶に留めておけない。かろうじていくつか気になる言葉を“キーワード”のように頭に入れようと努める。けれどもそうすることに精いっぱいで、話の内容が全然頭に入ってこなかった。

そんなこともあり、まずは宿から比較的近くにある青ヶ島の最高地点・大凸部(おおとんぶ)に行ってみることにした。とりあえず島の全体像をインプットする必要があると感じたからだ。

「村でも町でも新しくたずねていったところはかならず高いところへいってみよ」

民俗学者の宮本常一さんは、故郷の周防大島を離れる際に父親から、(10箇条のうちのひとつとして)そんな教えを受けたと云う。

「そして方向を知り、目立つものを見よ。峠の上で村を見おろすようなことがあったら、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ、そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへはかならずいって見ることだ。高いところでよく見ておいたら道にまようようなことはほとんどない。」と。

その話を聞いてからは僕も新しい島を旅する際には、なるべく高いところへ行って島の全体像を頭に入れるよう心掛けている。

宿から大凸部までの道順はとてもわかりやすかった。宿の前の道を行けるとこまで行って車を停め、そこから先は徒歩で山を登る。山を登るとはいえ、要所に道案内も出ているし道もある程度階段状に整備されている。青ヶ島に上陸したばかりの高揚感もあり、がしがし山を登っていくこと約10分程度。この島の最高地点である大凸部(423m)の展望台にたどり着いた。

 

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大凸部の空気はさわやかで、展望台からは青ヶ島が一望できた。島の周囲がぐるりと外輪山に囲まれていて、島の中央部が窪んでいる。その窪地の中央からはババロアのような形状の内輪山が突出していて、その内輪山の中央部分もまた少し窪地になっている。まったく見事な2重カルデラだ。そして、島の外輪山のさらに外側には360度、見渡す限りに海が広がっている。まさに絶海の孤島であった。

その昔、天明5年(1785)には丸山(島の中央にあるババロアのような山=内輪山)が大噴火を起こし、住民334人のうち202人が八丈島に逃れ、あとの住民は島に残されて命を落とした。その後、青ヶ島は無人島となり、約半世紀後の天保6(1832)年、佐々木次郎太夫らが島民の先頭にたち、ようやく青ヶ島に帰還した(島の人は「還住(かんじゅう)」という)という壮絶な歴史があるという。

本当は方角を確認しながら、島の全体像を頭にインプットするつもりだったのだけど、その不思議な風景に心を奪われ過ぎて方角を確認することはすっかり忘れ、気づくと撮影に夢中になっていた。

青ヶ島の存在を意識するようになってから約1年半。具体的に旅を計画してから約4ヵ月。天候や仕事の都合で2度ほど予約のキャンセルを繰り返し、3度目のトライで遂に絶海の孤島・青ヶ島に来ることができたのだ。上陸成功! そんな実感が湧いてきた。

大凸部からの風景を満喫しながら、この島に上陸できたこと、まして、こんな快晴に恵まれたことに感謝した。心の中(もしかしたら口にも出していたかもしれないが…)で「うわぁーーー…」と声にならない声を連発していた。

ふと気になって村田さんを見た。大凸部に行くことも勝手に決めてしまったし、自分のペースでがしがし登ってきてしまったし、ほとんど話もせずに撮影ばっかりしていたけど、村田さんはさわやかな風に吹かれながら風景を眺め、気持ちよさそうに笑っている。

そういえばヘリコプターの中で見たときも笑っていた。しっかりしているし、旅にも慣れているようだし、体力的にも精神的にもタフそうだ。気を使わなくても大丈夫そうだな。その横顔を見て僕はずいぶん気が楽になった。

そして、翌日の「あおがしま丸」が無事に運行されるよう心の中で海に祈った。

 

 

 

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